発達と解離の相互関係

 あくまで俺自身の見解で、まだ医者には見せてない。見せてそうだねとなった時にはまたお知らせします。

 

 俺自身、医者からは発達に見えないと言われていますが、こだわりや、興味がある分野には詳しかったりと、医者からは見えないところで、発達の傾向を感じる。特に昔は言われていた<アスペルガー症候群>現代は<自閉症スペクトラム>については強く感じる事が多い。例えばだが、<融通か効かない><こだわりが強い>なんかは社会に出てみるとかなり感じる。ここから俺は<自閉症スペクトラム>ではないかという疑問にたどり着く。昔っから診断されていた物なので、今更感はあるが、話してみようかと思う。

 

 人の目が怖い。これは自意識過剰な部分もあるが、<自分が変に思われていまいか>という一種の脅迫性を感じる。鏡は勿論必須。だがその固定概念もなくなりつつあるのも確かだ。大人になれば必然的に周りに合わせる事ができるようになってきててもおかしくは無いだろう。話し方なんか特にそうだ。俺らは診断された小学校3年から発達の本を読み漁ってきた。支援級にも通っていた。そこでの経験が<普通であるべし>と考えさせられる一歩になっているんだと考えられる。また、<自閉症スペクトラム>はどくどくな価値観を持っている事が多い。俺らは味覚、嗅覚が過敏だ。未だに割り箸は木の味、匂いがするから苦手である。触覚も過敏であることが細君わかってきた。このように<なんか普通の人とは違う>これが怖い。バレたくはない。と俺は勝手に思っている。

 

 ここからは解離についてとの因果関係に入る。解離は<自己防衛反応>というのを前に話したが大人ではない幼少期に<普通の幼児園児>を強いられてきた。<自閉症スペクトラム>には強いストレスになってることは確かだ。特に触覚に強い過敏と持っている人には厳しい世界だろう。俺の幼少期のエピソードを話すと<カップ麺、乾麺が一切食えなかった>というのがある。これは感覚過敏で味覚、嗅覚がが過敏だったことに由来する。味が濃い、発泡スチロールの味がする。気持ち悪い匂いがする等があった。今でも苦手だ。ここから解離の話になってくる。親から出された物を無理矢理食わなくてはならなかった。これは幼少期の強いストレスになった事だろう。ここから解離が始まってくる。食べなくてはならない、でも気持ち悪い。親は普通の人なんでなんで食わないのかわからない。だから、<食わず嫌いをしている>と勘違いされるわけだ。親としてそれは許し難いことで、しかもカップ麺、乾麺は親にとってかなり楽ができるものである。それを食わない俺はやっぱり強制されるわけだ。辛い物を食わなきゃいけない。幼少期にあたってかなりのストレスになっただろう。ストレスが慢性的になると、どうなるか。逃避という名の解離現象が始まるわけだ。

 

 このように発達の持つ独特な価値が解離を呼ぶことは多々ある。これを二次障害と言う。この二次障害が厄介なもので、そこからPTSDを発症でもすると薬では抑えられない症状のオンパレードの症状の世界になるわけだ。くっそめんどくせえ治療と、カウンセリングを繰り返し、また解離が進む事になる。負のスパイラルが始まるわけだ。

 

 こんな感じでどうだろうか。共感してくれる人も多いんじゃないだろうか。あんまりにも長く書くとうぜえだろうから今回はここまで、

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