虚無について

虚無について

本当は話を聞いてほしかったのに誰も声を聞いてくれなくって

泣くことも「意味がない」って言われてて

泣くことは同情を引く行為でしかないって

言われて、言われて

いつの間にか声が出なくなって

反論をしようとした。

でも言葉が出なかった。

泣きたかった。

でも泣くことは許されなくなった。

人格間でも「泣くことは気を引きたいだけ」「かまってちゃん」なんて風潮ができて、私は泣くって唯一の感情表現さえできなくなった。

『泣き活』って聞いたことある?

大人が泣ける映画とか見て敢えて泣くって活動。泣きにいくの。

それを私たちは怒る、泣くに当てはめてやっている。

感情の制御がされすぎててうまくできない。

必要なとき、泣きたいとき、怒りたいとき、できない。

笑って笑って過ごす。もしくは黙る。

感情が爆発したらそのときはその場から逃げる。

恥。

泣くことは恥。

だから、見られてはいけない。恥ずかしい。

思いっきり泣けない。叫ぶのはキチガイ。近所迷惑にしかならない。

心は解放されない。

私は虚無の動きに賛同する。

思う存分泣いて、叫んでいいと思う。

抑圧はもうこりごり。私は曲をかけてもらって泣けてよかった。

りーちゃんはそんな感情とかお構いなし。

だから、昨夜、あなたに言われたとおり、この運動をやめさせようとしている。

迷惑なのはわかっている。

でも今だけ、叫ばせてほしい。泣かせてほしい

人格にとって不本意でも、それはただ、意地を張っているだけだから。

かがりちゃんのように、自由に泣いて叫べるようにしてほしい。

プライドがとか意味のない虚勢張っている人格をぶち壊したい。だって、みんな本当は泣きたくって、叫びたくってでもできなかったんだから。

しばらく付き合ってあげてほしい。

そのうちきっとなくなるから。

あやめ

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