言葉の呪縛

 言葉は知らず知らずのうちに人を縛る。言霊。発した言葉は取り消す事は出来ない。失敗の許されない言葉。

 それは親から子に話す時より強い鎖になる。子は親を真似て成長する。自身より、長く生き、人生の先輩のような親。子は親に全てを任せて、最大の弱い時を生き抜く。その為、親は絶対的な存在になり、子は親の言う言葉を全面的に信じることになる。普通の生物なら。海の中で1番頭の良い生物、シャチですら、そうなのだ。

 しかし、いつの間にか人間と言う生き物は、次第に考える事を覚え、自身の興味、関心、経験から動くようになる。その時、親から訳の分からない暗示、言葉の鎖に悩まされることもある。そんなくだらない話。

 俺が生まれることになる出来事。否、俺と言うより前身の「鵺」と言う中性の人格の事だな。俺はその「鵺」の片割れでしかない。中性だが、「鵺」の事を彼と呼ばせていただく。彼は母親からの言葉の鎖に苦しんでいた。

 それは幼少期。この体が一番弱く、親がいなければ生きていけない時代に、何度も何度も叩き込まれた言葉だ。それが彼の体に巻きついて離れない。千切ることも出来ない、言葉の鎖に雁字搦めになって動けずにいた。この体は女性だ。しかし、彼は中性。どっちつかずの存在だった。それもこの言葉の鎖によってなってしまったことだった。その言葉は、

「可愛いはお世辞」
「可愛いは嘘」
「可愛いは褒め言葉」
「本音では無い」

 彼、「鵺」が生まれた時、それはこの言葉の鎖による弊害が生じた時だったのだ。ある時、ディズニーのくまのキャラクターを母親が「可愛いね」と言った。しかし、「可愛い」はお世話で、嘘で、褒め言葉でしかなく、本音ではないものだ。では、このくまのキャラクター、何故母親は褒める?

 その場所は家であった。他に人は居ない。血の繋がった兄弟と母親だけ。そんな中、お世話を言う必要があったのか?何をもって「可愛い」と言う?理解が追い付かず、うんとも、すんとも、言えなかった。すると母親は「あんた、話聞いてた?」と責めるように言うのだ。聞いていた、聞いていたさ。でも、これはなんて答えるのが良い?わからない。理解出来ない。この葛藤が「鵺」を誕生させた。

 「可愛い」の呪い。鎖。そこから、ことある事に、この鎖は体を締め付けてきた。友達の着ている洋服。「可愛いはお世話」でしかない。だから本音を言う時は、「可愛い」は使えない。では、なんと言えば良いのか?母親に訊ねた事がある。すると、「綺麗とかカッコ良いとかでいいんじゃない?」と言われた。そんな馬鹿な。レースたっぷりのヒラヒラな洋服が「綺麗」?「カッコ良い」?そんなわけない。周りの友達は自由に「可愛い」を言えるのに、何故?自分はいえなくなった?こんな女子だったのだ。

 更に、この「可愛い」の鎖は人から言われても、身を縛り付けた。「可愛いね」と言われる度、心に葛藤と疑問、そして、「そんなお世話、嘘、褒め言葉、要らないから」と言う呆れに近い感情。どす黒いものが溜まっていった。その捌け口が「鵺」だったのだ。

 今はそこまで酷いものは溜まらない。溜まらないが、まだ俺や妹の祀璃は「可愛い」と言う言葉が嫌いだ。そして、言われる事も出来る限り避けたい。俺らの前身「鵺」はこうして生まれた。そして、母親からの言葉の呪縛、鎖はまだまだある。これは一例にしか過ぎない。この事がきっかけで、俺らは分離している。何気ない言葉が人を縛り付け、葛藤させ、苦しめる事もある。

 母の日に母親に会うようなので、また呪縛を鎖を巻き付けられないようにして欲しくて書いた。十分、気を付けて会ってほしい。

鵺の片割れ、裕璃。

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