内界に侵入出来るという話についての考察

 こんにちは、おなじみ、エルが今回も考察を書いていく。文句だらけになってたらすまん。再度、書くが、俺は医者ではないので注意。しかし解離性同一性障害の当事者である事には変わりないので当事者としての意見を書く。 

 今回は昔からいる、『あなたの内界に人格を送り付ける』『内界見てました』などと言う解離性同一性障害の方について考えたい。X(旧Twitter)ではこのようなやり取りがまぁまぁ見受けられる。

 結論を述べると、こんな事は有り得ない。有り得ないのに、何故このようなことを言う、書く人がいるのか?最初に解離性同一性障害の方がよく言う、『内界』の説明からしていきたい。 

◆ 内界とは

 『内界』とは、俺ら人格がいる居場所みたいなもん。この現実世界に体はない俺ら。だからこそ、脳内で、世界を作り上げ、そこに体を作って、普段、人前に出ない時はそこで待機しているみたいな場所。場所というのも変だが、基本、その脳内の空間、脳内世界を俺らは『内界』と呼んでいる。俺らにも勿論ある。

 その『内界』には種類とかはなく、本当に当事者それぞれの感性によって作り出される。個性がかなり出る空間、世界だな。ただの部屋だけの人やマジで国みたいな規模の人などいろいろある。大体の当事者の『内界』では、現実世界を見る為の部屋だったり、鏡とか窓とかあったり、現実の体に意識を持っていく為の扉だったり、現実世界の体を動かすためのコックピットがあったりする事が多いな。まぁ、俺らにはそんなもんないわけだが。話を聞くとある人の方が多いような。

 人格により『内界』の姿、形、感じ方なんかも違ったりする。大抵は当事者の中では統一されてはいるんだが。

◇ 内界とは、妄想・空想の世界

 そんな『内界』だが、もう気付いてる人もいると思うが、そう、『内界』は妄想、空想の世界であり、現実世界の生き物が干渉できるわけない

 だから、冒頭で上げた結論に行き着く。空想、妄想の世界に他人が入って来るわけないだろう。 

◆ 人格も他人が介入できるわけがない

 人格ってのもよくよく考えると、脳が勝手に作り出した仮想の生き物であるわけで。その仮想の生き物である俺らが仮想世界で生活をしていても、何らおかしくはない。おかしくはないが、そこに他人(ここで言う他人は当事者以外の人という意味)が介入出来るわけないのだ。侵入は勿論、見るとかも基本出来るわけない。

◇ 介入されたと感じる理由とは

 では何故、そんなことが出来る加害者、傍観者と、そんな事をされたという被害者が現れるのか?

 理由は簡単で、その『内界』を理解してほしいと他の人に話、詳細を細かく伝えてしまったことで、

実際は入れていないが、
『内界』の事情を知りすぎているため、入られているように感じてしまっている

 …という現象が起きているからに過ぎない。そこで、《入られてしまっている》と感じている人が取る行動はわかりきっていて、《入ってきた人格を『内界』で探す》わけだ。

 そして見つけてしまう。今まで『内界』では見たことのない人格、もしくは物を。そしてそれが、侵入者だ、と思い込んでしまう。これが現実だ。

 では、今まで見たことなかった物や人格を見つけてしまった理由を解説していこう。これは簡単で、解離性同一性障害の人は「暗示」に掛かりやすい。勿論これには「自己暗示」も含まれる。いわゆる、思い込みだ。これにより、今まで発見出来なかった人格、物が生み出された。もしくは元々居たが、発見されてなかった人格が見つかっただけだったりもする。ただそれだけのことなのだが、「自己暗示」に掛かってしまった当事者に言っても理解はされないだろう。これが被害者の実態であると考察する。

◆ 加害者・傍観者側

 今度は逆に、加害者、傍観者の話をしよう。

◇ 加害者側はシンプル。被害者が体調を崩しただけ

 『(迫害など)凶暴な人格を送りつける』と言っている加害者だが、基本はそんなことが出来るわけない。

 ただ、「その加害者との絡みがストレスだった被害者が単純に体調を崩した」だけだったりする。うん、本当にシンプル。そのため、別に『人格を送りつける』ことは出来ていないのが事実と考えられる。というか、不可能だと冷静に考えてわかるだろうに。

◇ 傍観者側は、話し上手なだけ。 当てずっぽうに話してることもある

 では、傍観者はどうなのか?

 これは、当事者の話を聞くのが上手いだけ、話を合わせるのが上手いだけ、と言うのが結論だ。

 例えば「今、少し内界で話してたんだ」と当事者が言っていたとする。そこに、傍観者が「それ、私は見てました」「内界に入れるんで」とか言ってきたら、最初は怪しむだろう。
 しかし、当事者側が『内界』の詳細をネットなどに公開していたとしたら?その情報を利用して、簡単に話を合わせることができる。しかし、その場合は傍観者は《知っている情報しか知らない》ので話してない、明かしてない『内界』のことは当てずっぽうで話していることになる

 だから、「内界を見れる」タイプの傍観者は《自分が知らない内界の話になると逃げる》きっと処理が追い付かないんだろうな。
 よく、「この能力(力とも言う)使うとすごく疲れる」とか「頭痛くなってきたからやめる」とか聞いたことないだろうか?本当にそうなのかもしれないが、『内界の話』とは違う話ができるのはなぜなんだろうか?疲れた、頭痛いなら休んだり、ネット上なら離席すればいいのに。しないのはなぜ?更に休憩を促しても「大丈夫」と話を続けようとするのは何でだ?そしてそんなに疲れるのに色んな人に対して使うのはなぜか?

 正直、理解できない。これは俺的にはどうも筋が通ってないように感じてしまう。霊的なことは俺はからっきしだが、それでも、なぜ、人の内界に入ろうとするのか、うーん。よき理解者になりたいのか?わからない。傍観者の心理はわからないな。

◆ 〆

 と言うことで、『内界に入れる』というのはあり得ない、という話をしてきたがどうだっただろうか?最近はこのようなことを言うやつも減っては来たが、まだまだいるので気をつけてほしい。まずは、『自分を強く持つ』ことがこのような話に惑わされないコツなのかもしれない。参考にしてほしい。

エル

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