綺麗なもの、悲しい現実

 夢を見る。人が亡くなる夢。夢を見る。人が笑顔になる夢。現実は笑顔より亡くなる方が多くて悲しいことが多くてとても嫌になる。人はいつか死ぬ。これは定め。致し方ないこと。でも、悲しい現実の中に産まれてくる笑顔があったりする。

 美しいと思う事は笑顔にする。噴水を音楽にあわせて上げてみたり、ピアノの音色だったり。綺麗な物は沢山ある。でも、悲しい現実も沢山ある。ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射。戦争。亡くなる人、傷つく人。お葬式。冷たい体に眠るのは棺の中。燃えて灰になり遺骨を遺族が粛々と集めて遺灰と共に墓の中に。綺麗(ニアイコール)悲しみなのはわかっている。でも、綺麗と悲しみがりーちゃんの中ではイコールで結ばれて絡まって取れない。感情の起伏がない。仕方ない。悲しみが美しいに絡まって取れなくなっているから。

 大阪ではあまり出なかった。どうせイコールで結ばれている絡まった感情では、起伏など起きない。それにりーちゃんよりも大事な用のある人格がいたからその子を優先した。りーちゃんは別に用などなく、ただ皆んなのサポートが出来ればそれでいいと考えている。だからこそ、大阪に行ったけれどサポートに徹した。離人感で不安定であればその代わりをし、発作的フラッシュバックを起こせば交代し、落ち着くまで待つ。堪能なんて悲しみと喜びの絡まったままのりーちゃんには出来るはずないのだから。でも、それでも、やっぱり好きなものという物はあり、その時は申し訳ないけど出た。ピアノの音色、Bell。それだけでも堪能したのだからいい。ちなみに苦手な物は人混みだ。悲しみと美しさが入り混じるこの現在で人とは尊いものではあるが、他人を助ける人などいないのだから。それを知ってしまっているからこそ、人が怖い。

 親切は自分に返ってくる。これは当然の事でもあり、自分が美しい人間であり続けるには必要な事である。だから、時間的余裕がある時は親切にして上げてほしいと、心から願う。悲しみを絡ませた美しさだけど、それは人の痛みを受け入れる事ができると言う事。ならば、その痛みを最大限に受け入れて生きていくのがりーちゃんたちには必要。他人の幸せを願う。りーちゃんたちに関わった人全員の幸せを願う事は、当たり前で、恨みなんてひとかけらもない。純粋な気持ち。これは美しいとりーちゃんは考えるのです。だから、願う。縁が切れてしまった人も多い。優しい人には優しい人が来る。りーちゃんはそんな人でありたい。

 

 今回はりーちゃんが書かせていただきました。綺麗事なのは承知の上で書いています。でも、願う事は無償でしょ?残酷なこの現実の中でゆとりある人生を生きて欲しいから。

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