エルの暴走、フラバの事

 今日、俺は、椅子を投げ飛ばし、暴れた。

 理由は1つ。医療保護入院のため、ここで休憩しろと言われていたからだ。

 こんなストレスフルなところで俺が休めるわけない。人が多くいること、親同伴じゃないと他の人に会えないこと、それよりも一番は親のご機嫌取りをしなきゃいけないこと。親が俺の中で一番のストレスだ。確かに煙草が吸えないとかあるが、そんなことよりも親との関係が一番面倒だ。

 それに加えて主治医は治療しないと言ったのに、週1でしか会えないときた。ふざけんな。それなら入院しなくても週1で先生に会ってた俺らにはストレスしかねぇじゃねぇか。こんなとこにいたって治療もしねぇ、勝手に薬は変える、主治医には週1でしか会えない。入院の意味はなんだ?

 

 俺は前の入院のとき酷いめに遭った。今回もそれとおんなじか?まだフラバに遭ってないだけマシだが、それでも鬱は進行している。やる気がでない。食べたいのに動きたくない。トイレにすら行きたくない。死にたいと思うことが増えた。

 でも俺は、人には手をあげたりはしない。それには俺の過去があるから。

 かがりのPTSDのように、俺にも爆弾くらいある。抱えているものがある。それを今回書く。これは俺とりーちゃんにも関連している。このことをノートに書くのは初めてだ。正直書きたくねえ。でもかがりが書いたから、ずるいだろ?俺だけ書かないなんて。だから俺も書く。俺の最大の爆弾を。

 

 中2の夏、俺は夏休みの宿題をしなかった。
 当時、俺らはいわゆる『頭のいい』やつだったわけだが、サポート校に通いながら成績を保つのはキツかった。サポート校で抜けた穴を塾で埋めながら、親からは、地域で頭のいい高校に行くことを望まれ、下の兄弟達の良い見本になれと、親にも兄弟にも思われていた。

 俺たちは夏休みの宿題を1日で終え、学校で合唱コンクールにも力を入れていた。ある指揮者に、頑張って声を出していたにもかかわらず、「本体さん、声抑えてくれる?」と言われた。

 俺らの声は音痴だったようで、うるさかったんだろうな。その一言で、俺たちの中の何かが崩れた。

 

 その次の日、学校を休んだ。次の日も休んだ。次も次も次も。そのうち学校に行くのが怖くなった。保健室登校もした。

 でもそのうちリストカットが酷くなった。やったこともないODもした。リスミー。ほぼ覚えていないが救急車で運ばれた。次のODは、バファリンをあるだけ飲んだ。中2のときのことだ。もう死のうとしていた。そんなある日、親が病院に俺らをつれてった。

 
 あ——————————————————————————————————————————————

 

 時系列がぐちゃぐちゃだ。まあここら辺は俺の記憶があんまりない。ただ一つ俺がニート(不登校)のとき。約2ヶ月くらいか?弟がな、『ずるい、学校に行かないで遊んで』とかぬかしたのよ。

 その時の俺らは死にたくて死にたくて仕方なかった時なんだわ。遊んでるわけじゃねぇ。それなのに奴は遊んでいるって言いやがったんだよ。

 イラついた。無性にムカついた。だから弟と取っ組み合いの喧嘩をした。そして、『死んでみろよ』と言った。

 そしたら、8階から飛び降りて、本当に死んじまったんだよ。だから、俺は人殺しだ。

 

 もうこんな思いはしたくない。だから人に手を上げることは俺はしない。絶対にしない。自分を殺すこともしない。それは逃げだから。

 

★注釈

これは、エルが入院中(6月5日)にノートに書き綴った内容です。

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