ロボット

 京華に代わり、奈都妃が京華の記憶を書こうと思ったのだが、エル・かがりから、本人が経験したことを自分で書かなくては意味がないと言われたので私の過去を書いていこうと思う。

 

 私が作られたのは、きっと初めて手首を切った9歳の夜だと思う。自分が自分ではない感覚は手首を切る前からあった。それがいつからか『生きているのか?』という疑問に変わり、そこから何が生きているのか分からなくなった。

 毎晩彫刻刀を手首に当てる日々。切る勇気はなかった。リストカットのことは読んだ本に書いてあり、知っていた。この歳から、この体は、心理の本を読み漁り、色々な対応策を知っていた。無駄に知識を取り入れていた。

 初めて手首を切った日、文通をしていた友達から、また引っ越すと言われていた日でもあり、学校の友達の母が死んでしまって泣く友達に共感できず、申し訳なく思った日でもあった。皆は泣いていた。それは当たり前で、母が死んだら、自分も辛いだろう。それを9歳で経験したのだ。悲しいだろう。当たり前だ。

 なのに、何故私はその子の気持ちに共感できないだろうか。ましてや友達なのに。私は本当はロボットかなにかなのかも知れない。本当に血は通っているのか。

 その夜、お通夜のあと。夜、寝ることが出来なくて、私は彫刻刀で思いっきり手首を切った。滴る血。勉強机の横で滴る血を無言で見ていた。思ったことは『ああ、生きてた』だった。そこから、自分を罰するため・生きてることを確認するために手首を切った。

 その後、学んだことがある。自分の弱みを見せてはいけない。切っていることがバレれば自分が弱い生き物と思われるだろう。絶対にバレてはいけない。泣きながら切った日も多々あった。でもそれを親にバレてはいけない。私は親よりも辛い思いをしていないのではないか。なのに自傷が増えるというのが違うと思ったんだ。

 

 自分の弱いところは人に見せてはいけない。強い自分でいなくてはいけない。私は、自傷をしている私をそこで分離させたのだと思う。正確には判らない。今も切りたいと思っている。でももう自傷はしないと3月に決めた。小さな自傷も、すべてを私は3月に辞めることにしたんだ。

 私の過去なんて、最初の2人よりも小さい、少ないものだっただろうよ。いいんだ。私はこれが全ての過去だったと信じている。

 今、薬を完全に抜いているが、きっと明日から地獄が待っているだろう。フラッシュバックも増え、死にたくなるだろう。私は止める役でも何でもない人格だ。きっといなくなるだろう。でも怖くない。全部認めていこう。

 人ではない自分を認めていこう。人のふりはもうやめて楽に楽に。エル君が書いていたとおり、誰か殺してください。私たちを殺してください。

 

奈都妃

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