衝突による不運

 あくまで私は人格でしかない。手伝いをする為に生まれた私は声の出ない子の為に存在していた。所詮は手伝いをするだけの物。私には決定権なんてない。彼女の言葉を代弁するだけ。失語症の彼女の言葉を伝えなくては今後、困るので。

 親という存在にあったのは私が自我を持ってから数日後だった。合理的な思考の親。こちらの都合など全く考慮しない。更には私達を嘘つき呼ばわり。「喋れないなら喋れる子出てきてよ」そんな都合よく変わってたまるか。出来れば苦労しない。親の運転する車であったのだが、飛び出したくなった。なぜ、この体の親はコイツなのか?と思った程、一瞬で嫌いになった。きっとこの親は私たちを早く病院にぶち込みたかったのだ。そんな見え透いた目的の為に、車を走らせていた。この体を育て、こんな人格形成を生み出したのは彼女であるのに。人のせいにしてしまっているかな?でも、現実はそうだ。私という人格は親の影響を強く受けているようだと、他の人格と話してて分かった。人からの好意には裏があると私は思ってしまうのだが。それこそが親と思考が似ているという事だ。

 人はなんかしら下心があり、目的があり、絶対に無償な物なんてない。無償でやってくれる事には絶対裏がある。よく思われたい、世間体。それはどんな裏かはわからない。しかし、絶対的な味方なんてこの世には存在しない。下心のない人なんていないのだから。こんな人格形成をしてしまったこの体にはきっと、もう用が無くなったのだろう。世間体的にも邪魔だったに違いない。だから、親は私たちを適当な病院にぶち込んだのだ。そうとしか考えられない。用済みな物はゴミ箱にぶち込め。そうゆうことなんだろう。散々利用して来たのに最終的には軽くぽいだもんな。非道な人だ。そんな親と私は似ている、思考回路が同じと言われるのは、心外だった。私はそこまで非道ではないと、信じたい。

 周りを見て私はあの頃の環境とは今は違う事に気が付くまで、時間がかかってしまった。私が親という生き物に対面して、既に、5年の月日が立っていたと言うのだから驚きだ。確かに私は失語症の彼女の為に生まれた存在だが、そんな長い間眠っていたと言う事実はとても不思議でとても変な感じだ。彼女はその間、寝ていたのか訊ねると、そうでは無かったらしい。ではなぜ、代弁者の私だけ眠っていたのか?それはきっとあの親のせいだったのでは無いかと、別の人格に言われた。インパクトが強かったのだと。かなりの負荷を負ったのでは?と、ストレスごときに私が潰されてたまるかとも思ったが、私自身の発生原因はストレスだったなと思い返し、そんなこともあるのかと、妙に納得してしまった。口車に乗せられただけのようにも思えたが、それでも訳のわからない事には適当な理由を当て嵌めておくとスッキリするものだ。例え仮説でしかなくても。

 さて、私はこうして現在、目覚めた訳だが。今は戸惑いながらも、失語症の彼女のお世話だけではなく、朝が弱いこの体の為に朝、行動する事が増えた。朝組と言われたらそうなのかもしれない。それはそれでいい。出来る限りの︎家事ぐらいならサポートしよう。そんな毎日を送っている。親とは目覚めてから姿を見ることすらしてない。また会ったりすると私が眠ってしまうのではと、他の人格が警戒してくれている。だから、親には会わない。彼女似の思考回路は相変わらずの変わらぬままだが、ゆっくりと価値観を変えていきたいとは思う。

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