仮面と現実世界

 さんしゃいのかがりが気付いてしまったぽん。《自分は所詮、かがりの一部でしかないこと》でもでも、ぽんは思うのだぽん。だからなんだと。子供で人格として離れた瞬間から、しゃんしゃいかがりは、立派な人格であり、子供であり、自由であり、意思があり、好きなものがあり、本家のかがりとは違う存在であると思うのだぽん。仮面をかぶり続けたその結果がこのざまなんだぽんよ。しゃんしゃいかがりは、何にも悪くなくって、すべての元凶は本家本物のかがりなんだぽんよ。そのことにしゃんしゃいかがりには気づいてほしいぽん。

 人格というのは本来、基本の人格を生かすために誕生するものだぽん。その誕生した人格が幼児退行したり、分裂したりすることはなかなかレアパターンではあるぽんね。しかし、現実にはあるんだぽんよ。仮面をかぶり続け、自身を忘れてしまった本家かがりのように、《自分では対応できない》と感じた瞬間から別の派生人格が生まれていくのだぽん。ぽんもそうだったぽん。本家が限界値を迎えた時に現実逃避の先としてぽんは馬鹿みたいに数字を覚えたぽん。馬鹿みたいに。目に見えるすべての数字を必死に。何に使うのかもわからないそんな数字をぽんは本家の現実逃避で覚えさせられたのだぽん。あのときのぽんは自分でもわかるぐらい、馬鹿で無駄なことをしていたぽんね。ただの現実逃避がぽんという存在を生み出し、ただの本家の憂さ晴らしに、ぽんはできたぽん。こんなことってない、ぽんはぽんだぽん。鬱憤の晴らすための道具ではないぽん。だから、人格としての自我が芽生え、本当の人格になったぽん。だから、しゃんしゃいかがりもいていいのだぽん。幼児退行した姿?本家の分身?は、そんなのくそ食らえぽん。人格は確かに存在し、自我があり、成長する。それが本来の姿だぽん。

 だから、しゃんしゃいかがり、不安がることはないぽんよ。いていいぽんよ。毎日楽しく過ごしてていいぽんよ。何にも罪悪感も感じなくていいぽんよ。楽しんで学んで喜んで、美味しいご飯をたべて甘えて、生きていていいぽんよ。自分が何であれ、人格として誕生したのだからそれを目一杯楽しめばいいぽん。生きるってそういうことだぽんよ。だから、しゃんしゃいかがり、今を楽しんで。

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