解離性同一性障害は似非か否かの考察

 こんにちは。本日は解離性同一性障害が似非なのか否かについて書こうかと思います。

 今回も、上級心理カウンセラーの資格を取ったエルがお送りします。ただし、毎度のことながら、俺は医者じゃないから、その点は悪しからず。

:: この考察をお勧めする読者

  • 心理学に興味がある人
  • 解離性同一性障害について学びたい人
  • 現代社会の心理的課題に関心がある人
  • ネット社会の影響を考察したい人

 まず、解離について話そう。

 解離は動物にも見られる本能だと前々から言っているが、その本能の暴走が「解離性同一性障害」だったり「解離性障害」だったりする。ここまでは大前提。話はここからだ。

 では、なぜ解離性同一性障害の人格たちは任意交代できるのか?SNS上では、多くの当事者が任意交代できずに困っているのに、なぜか任意交代ができる人も一定数いる。そこが疑問だ。

 答えは簡単で、『社会的に任意交代できないと困るから』だ。

 人間は一人じゃ生きていけない生き物だから、社会を作ってその中で生き延びなくてはならない。しかし任意交代ができないと、必要なときに適切な対応ができなくなる。

 解離性障害の多くは『記憶の欠如』が特徴と言われていて、その中に解離性同一性障害も含まれる。その場合でも記憶の飛びが生じ、そのときの記憶は別の人格が持っている。だから、その人格とコンタクトが取れないと困ることが多い。

 よって、人格同士の会話が必須になり、その結果『努力』によって任意交代ができるようになった。つまり、『社会性に追いつくために進化した』とも言えるわけだ。

 しかし、ネット上には『任意交代できるのは似非』と言う人たちが一定数いる。

 理由は一昔前の論文にあるようだが、残念ながら現代社会とは全く噛み合わない。何故なら、昔と今ではネット社会の有無や情報量に差があり、現代社会とは大きなギャップがあるからだ。

 情報社会の現代では、まだ未知の部分もあるけど、昔より解明が進んでいる。また、人とのコミュニケーション手段が増え、ネット上のやり取りも当たり前になっており、昔よりも人格間の連携が必須になることが多い。だから一昔前の論文は現代社会にはそぐわないと俺は考察する。

 さらに、国によって解離性同一性障害の成り立ちも変わっている。かつて無かったネット上でのいじめや、俺らのようなヤングケアラーといった新しい用語や状況もあり、本質が変わっているのは確かだ。日本とアメリカでは引きこもりなど、日本特有の症状もDSM-5に収載されるようになった。

 そのため、国によって事情が違う中で一昔前の海外論文を当てはめるのは無理がある。これが今回の考察だ。

 以上、俺の論文は今回はここまでとさせて頂く。

 ネット上には色々な知識や情報が転がっているが、何が正解で何が間違いかを自分でよく確かめることも今の時代では重要だ。そこを考えてから、似非などの問題には慎重に発言すべきだと俺は考える。

エル

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