人格という存在

こんにちは。久しく俺、一条 色が書かせて貰う。再構成日記は人格を名前がある有る存在としてみる。その名前だけが、人格の存在定義であると定めている。そのため、名前を変えるのはかなり覚悟がいることである。1度決めた名を捨てる事は人格にとってその人格では無いことと、同意義になるのだ。

さて、ある事がきっかけで、今年に2名が名を変えた。1人は5年以上他者から適当に付けられその意味も、奈落の底にいる負の人格の代名詞のようなものだった、奈都妃なつき(現在:渚月なつきと名乗る)だ。彼女は名前を変えることに凄く抵抗があった。しかし、他の人格が壊れる程のトラウマを身体的に精神的に行った人が付けた名。そして、15キロも痩せる原因にもなり、ネカフェ難民にならざるを得ない状況にした人が付けた漢字を彼女は捨てたかった。もう、そのときでは無い。もう違うのだと、現したかったのだ。

だが、再構成日記側の皆が呼び慣れた名。そうそうに変える訳には行かなかった。そこで頭文字であるなを使った別の字、名前にする事にした。それには他者からの応援もあり、彼女自身の決意もあっただろう。変える決断をした。

最初、なつめとした。しかし、棗とした所、彼女は自身が割れる事を知覚したらしい。再構成日記側の記憶が飛ぶようになり、トラウマ処理を代行する人格である棗という男性人格が彼女から割れた。棗が無茶をしまくって、落ち着いてから、

奈都妃は読みはそのままで漢字だけ、渚月と改めた。

それだけ名前には多くの価値観が乗る。人格が割れる揺れる出られなくなる等。沢山の弊害が出る。1度決めたら最後までその名であるのは決まりみたいなものだ。

2人目の虚無。彼は虚無という名自体が仮名のようなものだった。誰が付けた訳ではない。虚空を見ている暇人のような奴だった。それで、虚無っていると言われたのが発端だ。

こちらは決意が先だった。話し方が特徴的で、子供のような舌ったらずな発音だった為、良く『きょむきょむぷりん』や『きょむりん』等と愛称で呼ばれていた。しかし、本人はあまりその愛称がバカにされている感覚があったらしく、嫌だったようだ。

そこで、名前を再度考えた。当時、仲良かった人に名前をつけ直してもらったのだ。ただ、由来が少し、あれだったが。

碧となった彼だが、

名前と存在が一致しなくなり、出ることが非常に難しくなってしまった。適合しなかった、という感じか。ほとんど自発的には出る事は出来なくなってしまった。

誰かの為、何となく存在を求められているのでは?と再構成日記側の他の人格が探し、アンカー曲をかけてようやく出るような状態になった。

名は戻すことにした。碧と名付けた方とも仲違いしたのでな。もう、縛られることはなくなった。半年間、存在が危うい状態だったが、虚無と戻り、安定をしているように俺は思う。

再構成日記ではこのように人格の名前=その人格の存在と見る。変更すると色々と困る事が多いのだ。

その為、他のDID罹患者の人格の名が変更になる、変わる、変えた、と言われると、その存在が居なくなったように感じる。それはこちらの感覚だが、再構成日記側はそのように感じている。

と、まぁ、名前について書いたが、俺の名前にも意味がある。苗字は適当だ笑。

【何色にも染まり、何色にもならない色】

それが俺の名前の意味だ。信念のような物でもあるな。存在定義とでも言えるか。

名前、俺ら再構成日記側の人格の名前の重みはその人格の生涯の重み。

決して、気安く変更できるものではない。

例え、どんな事があっても、だ。

変更するなら、決意を持て。消えるかもしれない覚悟を持って、

存在の名前を変えろ。

それが再構成日記だ。

一条 色