カウンセリングにて

 自己分析の中で、精神科のカウンセリングを受けて、昨日、私、京華が暴露療法をしたの。そこでわかった事が、私達、【再構成日記】が高度な社会で成り立つ、解離性同一性障害だと、言うこと。そして、私、京華は感情分岐であった事の事実を受け入れられた事。

 日本特有の『空気を読む』文化はある意味、発言権の自由を奪う場であった。私は男女別のコミュニティーの中で、年功序列の社会で、母親の拒食を、兄弟の世話を家事を担うヤングケアラーという家庭内で、どうしても感情を『潰して』生活をせざるを得なかった。本当は私は自分の好きな小説に没頭していたかった。しかし、立場や女の子特有のコミュニティー、聴覚過敏特有の音による刺激、そして、家庭内でのケアが許してはくれなかった。8歳時点で既に感情の起伏がなく、大人びた8歳児とは思えない振る舞いを初めて会う心理士にしていたと心理士の初見がある。不安定な家庭内や社会で生きる為に既に人格の分岐があったと思わされる初見だった。ASDの初見で、大人と不安定な関係と不安定な環境に晒されている可能性を示唆されている。12の進路相談の初見にも相変わらず、“あまり表情が無い子ですが”と書かれている。知能は学習はちゃんと発達したのに、『表情は乱れない』乱れるどころか、無い。一貫して、無い。8歳から通級へ行き、12歳でも大人のフォローが必要との初見。表情の無さ。無表情の女の子。大人びた女の子。感情を潰していた、私。

 当時の主人格は暫定さんだけれど、私はずっと感情を潰し続けてきた。生きるには感情は、いらない。潰してしまえ。無くしてしまえ。『無かったこと』にしてしまえ。そんな心を『押し潰し』てこの体で生きていた。私は機能でいい。私は『何にも感じない』それで良かった。そう重い岩を小さいリュックに押し込めて、背負って山道を進んで、『無くなっても問題無い』存在。『生かす』装置であれと、抑圧し続けてきた。

 感情は残酷だ。子供の出来心で簡単に生き物の命を捻り潰すんだから。そんな未来を潰す存在になるのが、怖い。恐怖で直視出来なかった。私は機能で『知る必要』があったから本で学んで、実践し、練習をして、無理矢理、笑う事が出来るような。一人の心では無く、ただの装置。と思ってないと、『京華』と言う私が崩れそうに、なる。怖い、人は怖い。その人と言う枠組みの一機能。一装置。ただの歯車。それでいい。怖い人と言う存在にならないで、いいなら。【文は嘘をつかない】でも、【人は吸って吐くように嘘をつく】そんな人。なりたくない。正直な歯車でいたい。重いリュックはパンパンだけど、“いつになったら山道は終わるの?”と希望を見るのを、辞めて物語に逃げた。そんな存在でいい。私は小説を読んで書いて、ずっと、憧れた人になりたかった。優しい文と現実を許さない文。そんな本の山に埋もれて居たかった。

 感情分岐の人格とカウンセリングで自己理解して、『重いリュックを置いていい』と言われた。あのカウンセリングで、私は、直視しなくてはならない現実を見る覚悟を決めた。長かった。結論を出すまでに5日間。外部とは接触しない。どうせ文にしてなきゃ『わかったフリ』を『平気な顔』して『嘲笑う』でしょ?だから、自己理解をしたけど、納得は出来なかった。否定する現実。直視出来ない光を、包み込む言葉で、『少し』『見えた』『気が』した。ああ、私は存在しない。現実ではこの体のみ。『再構成日記』を少しだけ支えるパーツと、思い込んで、簡単に感情を他の人格の心を、

『潰してきた』

 それが、私、京華であり、私はこれが良いと錯覚してきた。しかし、しかし、『潰して』きたその感情は決して無くなっていたわけでは無かった。まだそこにあり、石ころとしても、岩としても、存在し続けた。そんな感情は、長年、蓄積して、重くて重くて。それでも『潰した』気になっていた。思い込んで、暗示をかけた。

『泣いたって怒ったって、何にもならない』

 そう、母親から言われたこの体は、泣かない。そう、言われて育った体は怒りに任せて暴言を吐いてしまったりすれば、自分の命をかけて『償おう』とする。エル君は怒り。彼が暴走して、その後、自己嫌悪のち、

『死にたくなる』

 そんなループ。そんな感情を私は俯瞰して見ていたが、私も、私も。

“理不尽に怒り絶望した”

 それが、今回、わかった。わかった。感じて。そして、認めた。そんなカウンセリングで得た知識。

 理解して恐怖の毎日を殺しながら生きている今。

『人は笑いながら子供を殴り飛ばす』

 感情ほど、怖いものはない。感情ほど、歪なものはない。感情ほど、恐ろしいものは、

 無い。

京華