京華ちゃんのカウンセリングとデイケア

 あたし、かがりしゃーんが、最近書くことって無かったなーって今更。思ったわけでして。暴露療法、次はあたしか、京華ちゃんで行くのか、内部で論争が巻き起こっています笑。

 あたしも暴露をしっかり書いたこと、無かった。ちゃらちゃらっとわーいわーいってかるーく書いてた。真面目になったら崩壊する感じが、してた。京華ちゃんが感情を俯瞰して見ていた『潰して』来たなら、あたしはその感情を『解離』で『飛ばして』かるーく、かるーく。明るく生きて来た。アホの子の方が都合がいい。馬鹿な子の方が都合がいい。不思議ちゃんの方が都合がいい。楽だよ。現実見ないで、見てもサラーって流せるなら、楽。理解して深く考えないでいいなら、楽だよ。壊れてるんなら、とことん壊れて生きればいいじゃん?って思って生きてきた。型とか、ハマりたくなかった。自由に遊びたかった。やりたいこと、やれないのは、悔しかった。
 
 あたしの暴露をする上で、絶対に必要なのが、何処から出来たのか?だと思う。小学1年で、あたしは出来たんよ。この体は成長が早くってさ。大きい子だった。幼稚園とかゴリゴリの進学校的な教育主義の母親は、四谷大塚の通信とか、子供チャレンジとか幼稚園でも、お昼寝?有り得ん。ひらがな出来て当然。なんなら自分の名前は漢字で書いて普通なとこで。算数、普通に足し算引き算してたよ。そろばんもやったさ。そんなゴリゴリ教育は運動面でもあって。体が大きい、成長が早い子が他の子より、自転車とか縄跳び、鉄棒、うんてい、出来ないわけない。差別主義。なのに、母親は

『差別はしません。みんな平等に見る』

とか言ってて。そんでも、女の子は口が立って当たり前。男の子は喧嘩、やんちゃするとか。喧嘩1つ。方法すら固定されてた。赤いランドセルはこの体に合わなきゃおかしい。スカートは当たり前だろ?だって女の子だから。ピンクじゃない。ズボンでは無い。赤。スカート。固定。なんなら、『ディズニーは好き』であろう。『サンリオ』ではなく、『ミニーちゃん』それが当たり前だった。固定された実家だった。字はどっちでも書けたけど、右が当たり前と言う謎理論で習字を習っていた。小学1年。四谷大塚の通信しながら。自転車?乗れて当然だろ?って感じ。『見る』って、加点式ではなくって、減点式だった。評価は他の子同年代の子全員の女の子。長女なら、兄弟がもう、下に3人いる長女は。『母親を助ける』存在。団地の大人は、社会は、決め付けて、家では差別主義なのに差別しないとか、ダブルバインドが横行する、世界。居場所?無いよ?外も家もずっと『やれて当然』『支えてあげてね?』そんな世界。楽なんて、ない。出来て当然。だから、自転車を団地の隣の女子高生から、『お下がり』で、貰った。1年の春から夏のこと。錆びてて16インチとかの小学1年には大き過ぎる、自転車。貰った、自転車。

 小学6年の男児をその自転車で、ブレーキが効かない、足が上手くつかない、自転車で、

『轢き殺しかけた』

 それがあたしの生まれ。仰向けに倒れ込んだ男児の足の間に突っ込みそうになって、あと少しで、本当に轢きかけた。全力で片足で、止めざるを得ない。怖かった。震えたよ。自転車の危険性は良く、知っている。この体も、父親の運転の自転車の後ろに乗ったとき、足を後輪に巻き込まれ足首を抉られて、血塗れに、なったことがあるから。今でも残るその傷跡は、病院ではなく、家で適当な処置で済まされた傷跡は、痛かったもん。

 あの時は言い訳をしたよ?「初めて乗ったから」とか「お下がりで」とか「スカートで上手く運転できなくって」とかさ。「ごめん」って謝った。でも、その男児は二度と、この体と接触はして来なかった。強烈な事だったよね。悲鳴もんだったもんね。必死に「止まれっ!」「止めろっ!」「危ないっ!」て『叫んでた』の、忘れないよ。笑って過ごせる話じゃ、ない。

かがり