泣けないことについて

 こんばんは。ある人がやっと自分の感情を出せるようになったと言っており、それについて羨ましい気持ちが野薔薇に行ってしまって、苦しい毎日です。しかし、それは僕らのことと彼のことは別なんです。無い物ねだりのお話です。

 僕らは泣くこと『許可』されていません。泣きそうになると強い人格に簡単にその気持ちごと“潰され”てしまいます。それは人格交代もし、『記憶から無かったことに』されてしまいます。

 例えば僕が過去のこと、トラウマをフラッシュバックを起こすとして、泣きたい、苦しいという気持ちがわき上がってきます。ちょろっと涙が出た、次の瞬間に京華さんが出て、『すべて無くして』『無かったことに』されるわけです。プチッと簡単に僕らは『泣く』感情を“潰される”わけです。

 一人の人格ではこの感じは無いのでしょう。「我慢する」とか「歯を食いしばる」とかで泣くことが恥ずかしいという感情によって泣かないということがあるんでしょう。でも、僕らの場合は本当に“潰される”感覚です。感情を無くされるという感覚です。

 潰す事ができる人格はほぼ決まってまして、潤さん、京華さん、あざみさん、あたりです。暫定さんあたりもあるかもしれません。彼女たちは強くあれと、自分たちに科している。そんな気がします。自分たちが泣いたら、自分という存在が無くなるというような恐れがあるような気がします。「泣かない」「泣かせない」それを規律のように守っているそんな気がします。

 だから、僕はそうでは無いことを彼女らに気付いてほしいなって思います。冷静だったり迷惑だったり、笑ってごまかそうとしたり、そんな生き方僕は違うと思うんです。喜怒哀楽が無い、もしくはばらけている。それは違うんだと、僕は言いたい。

 泣くとか、笑うとか、人間らしい行動を僕はしたいと思います。恥ずかしくってもみっともなくても、それでいいんです。やり直しです。人生のやり直し。今はその期間なんだと僕は思うんです。だから、“他の人格の感情を潰さないで欲しい”それが僕の願いです。これ以上感情を“潰さない”で。

夕顔

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